京響について

京都市交響楽団の沿革

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京都市交響楽団(京響)は、市民文化の形成、青少年の情操を高めるために、古都京都の新しい文化創造の担い手として1956年4月に、日本で唯一の自治体直営のオーケストラとして創立された。その翌年の秋には早くも東京公演で熱演を見せた。この裏には、今では伝説的となったカール・チェリウス(初代常任指揮者)による厳格な猛練習があった。そして1959年、二期会との提携による「モーツァルト・オペラシリーズ」で全国を演奏旅行し、毎日音楽賞、大阪府民劇場賞、大阪府芸術祭賞を受け、さらに1961年にはコミュニティー隆盛の先導役を果たした意義を評価され、文部省芸術選奨を受けた。

この頃、一般には「モーツァルトの京響」というイメージが浸透していたがハンス・ヨアヒム・カウフマン(第2代常任指揮者)、森正(第3代常任指揮者)が常任の時期に、レパートリーの幅も近代・現代音楽にまで広げられ、楽団の規模も4管編成へと拡大された。

1967年から1971年の間は、第100回記念定期演奏会でストラヴィンスキーの三大バレエ音楽を取り上げて好評を博した外山雄三(第4代常任指揮者)と京響最初のレコーディング(シベリウス:交響曲第2番他)を成功させた渡邉暁雄(第5代常任指揮者)に率いられて日本全国で多くの演奏会を行い、京響は日本の著名なオーケストラの一つになった。

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1972年から1976年の間は山田一雄が第6代常任指揮者を務めた。1973年から1998年まで、京都市は主として日本人による京響のための作曲を委嘱している。定期演奏会で取り上げたそれらの中から、5曲を収録したレコード“京都をイメージとした作品集”(小泉和裕指揮)は1978年「日本レコードアカデミー賞」を受賞した。1976年最初の海外公演として香港公演を行った。1976年から1984年の間、国際的な趣を吹き込むためニクラウス・ヴィス、スチュワート・カーショー、フルヴィオ・ヴェルニッツィ(第7代常任指揮者)など何人かの指揮者を海外から招いた。

1985年、小林研一郎が第8代常任指揮者に就任、1987年には北朝鮮、1989年フランスで公演する機会を得た。

1990年音楽監督・第9代常任指揮者に井上道義が就任。

1995年には大友直人が正指揮者、1996年から首席指揮者として指揮者陣に加わり、1998年4月から2001年3月までウーヴェ・ムントが第10代常任指揮者を務めたのち、2001年4月大友直人が第11代常任指揮者に就任、2004年4月からはアーティスティック・アドヴァイザーを兼任した。

2008年4月、第12代常任指揮者に広上淳一、京響初の桂冠指揮者に大友直人が就任。2014年4月からは、第12代常任指揮者兼ミュージック・アドヴァイザーに広上淳一、常任首席客演指揮者に高関健、常任客演指揮者に下野竜也が就任、2017年4月からは下野竜也を常任首席客演指揮者に据えて、常任指揮者兼ミュージック・アドヴァイザー広上淳一、常任首席客演指揮者・高関健及び下野竜也による強靭な3人指揮者体制を確立。

2020年4月からは新指揮者体制として、第13代常任指揮者兼芸術顧問に広上淳一、首席客演指揮者にジョン・アクセルロッドが就任。

2008年4月から常任指揮者を務め、数々の名演を生み出して聴衆を魅了してきた広上淳一は、2022年3月をもって14年間の任期を終了。2023年4月から第14代常任指揮者に沖澤のどかが就任。さらに2024年4月からは首席客演指揮者にヤン・ヴィレム・デ・フリーントが就任予定。京響は今、新たなステージへ向けて、名実ともに文化芸術都市・京都にふさわしい「世界に誇れるオーケストラ」として更なる前進を図っている。